仲代達矢が日本を代表する名俳優ならば、「劇団ニコルソンズ」の命名の由来にもなったジャック・ニコルソンズについても取り上げたいと思いますね。やっぱりジャック・ニコルソンもかなりの名優でアカデミー賞の常連です。かなり奔放な私生活なのが日本の俳優とは大違いなところですが、役者は私生活よりもどんな作品を残しているか?!がなんぼの世界なので、私生活などはっきりいってどーでもいいです。

ジャック・ニコルソンはまちがいなく名優

芸術的な才能があったことは間違いないでしょう。生まれはニュージャージー州ですが、高校を卒業した後は役者へ進むと決めて映画の中心地ハリウッドを目指してロサンゼルスへと引越しました。そしたえハリウッドでは、アル・パチーノやロバート・デ・ニーロ、ロビン・ウィリアムズ、マーロン・ブロンドにメリル・ストリープも学んだアクターズ・スタジオで学びます。

アクターズ・スタジオは日本で言うところの「劇団」に相当するものですね。名演技と高い評価をされるハリウッドの人たちは、かなりの確率でアクターズ・スタジオで演技を学んでいます。そしてジャック・ニコルソンは、売れない役者時代には生活費を稼ぐためにアニメーション部門で働きますが「トムとジェリー」のアニメ監督から、正社員としてアニメ制作に加わるようにと推薦されているので、かなりの芸術的才能があることは間違いありません。

こんな嬉しい申し出を断わります。なぜなら、役者になるのがジャック・ニコルソンの夢だからです。

ジャック・ニコルソンの若手時代

映画俳優としてのデビューは1958年(昭和33年)の「クライ・ベイビー・キラー」です。そしてこの出演で低予算で映画を作ることで知られている映画監督のロジャー・コーマンの目に留まります。そしてロジャー・コーマン作品の低予算映画に若手の俳優として出演します。そしてこのロジャー・コーマンの映画で共演したデニス・ホッパーやピーター・フォンダに誘われて、1969年(昭和44年)「イージー・ライダー」に出演することにつながりました。

この「イージー・ライダー」でジャック・ニコルソンが演じたのは、アルコール中毒の弁護士役ですが本当はこの役は別の俳優が演じることになっていたとか?!まさに縁とは分からないものです。この演技で見事アカデミー賞助演男優賞にノミネートされて、一気にハリウッド映画界でジャック・ニコルソンズの名前が有名になりました。

「イージー・ライダー」の翌年には、主演映画「ファイブ・イージー・ピーセス」に出演して、アカデミー賞主演男優賞にノミネートされます。そして続けて、次々と映画に出演する中でカンヌ国際映画男優賞を1973年(昭和48年)「さらば冬のかもめ」で受賞、1974年(昭和49年)「チャイナタウン」でゴールデングローブ賞主演男優賞を受賞と、確実にアメリカ映画界を代表する役者として大きく成長しました。

アカデミー賞初受賞したのは1975年(昭和50年)「カッコーの巣の上で」の作品でのことです。この作品で遂にジャック・ニコルソンはオスカー俳優の仲間入りを果たしました。それからジャック・ニコルソンがオスカーを受賞するのは1983年(昭和58年)「愛と追憶の日々」で助演男優賞を受賞。そして1997年(平成9年)「恋愛小説家」でアカデミー賞主演男優賞を受賞しています。


トゥモロートゥモロー